世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

君流れること勿れ

今の私は、
時の濁流になすすべもなく
流されている材木のごとし。

浮いているのだけれど、
進んでいるのだけれど、
どこに行くかも
どこに落ちるかもわからない。

雨が降り、花が咲いて、うぐいすがないて
季節は着実に変わっても
それは材木が流れているからではない。
単なる舞台設定の転換。

人生は直感と行動の積み重ね。
でも直感が人生に持ち込むものは
ときに鋭く、ときに痛い。そして切ない。

そんな痛みも鋭さも切なさも
自分が成長するための必要なプロセスだと
納得させながら進むしかない。

進むというより、呑まれて
すごい勢いで流れている今。
仕事のこと、気仙沼のこと、
ソマリアのこと、これからのこと、自分のこと。
ガス代のこと、引っ越しのこと。人の気持ちのこと。
考えてもどうにもならないこと。
考えたら辛いこと。
考えなくても辛いこと。
私は何かを待っているのだけれど
何を待っているのかわからない。
オプションはたくさんあるようで
選べるものは限られていて
選べる道は、いばらそしてたぶん崖。

先週読んだ村上龍の文章で激しく共感した文章がある。
長いけど引用したい

「この世の中には3種類の人間がいる。一つ目は、充実感とは無縁の
退屈でつまらない人生を歩んでいる人々だ。だが彼らは、自分たちがつまらない
人生を歩んでいるとは思っていない。そもそも充実感を知らないから、
彼らにはつまらない人生という概念も充実した人生という概念もない。
彼らは、自分たちが安定した多数派に属しているという安心感を得るために、
つまり退屈でつまらない自分の人生について考えずに済むように
テレビを見て、雑誌や新聞を読み、仲間と雑談する。
二つ目はひょっとしたら自分の人生はつまらなく退屈ではないかという疑いを持っている
人々だ。彼らは不安を持って生きているが、充実とは何かを、ぼんやりとではあるが、
知っている。充実感の断片をあじわったことがあって、なんとかしていつもそれを手元に置いて
おきたいと思っているが、どうすればそれを入手できるのかはわかっていない。
三つ目のカテゴリーの人々は数が非常に少ない。充実した人生を送っているが、決して
そのことを自覚しない。彼らは例外なく多忙で、自分の果たして充実したものかどうかなど
考える余裕がない。つまり興味深い事実があって、充実した人生を送っている人も、
退屈でつまらない人生を送っている人も、ともにその自覚がないということだ。
三つ目の集団、つまりひょっとしたら自分の人生は退屈でつまらないものかもしれないという疑いと
不安を持っている人々だけが、充実や退屈について考えている。
そしてずっと不安状態で生きていくことはできないから、やがて二つ目の集団の人々は
一つ目の集団か三つ目の集団のいずれかに吸収される。もちろん大多数の人々は
一つ目の集団に吸い込まれていく」

ふっと多忙の波から頭を突き出してみたときに
言葉にできない不安だったり、答えのない疑問だったりに
ぶつかって、慌てて多忙の波に戻っていく。
でもその不安や疑問にちゃんと立ち向かう時間を作らないと
次のステージに進めない。

フィジカルなものじゃなくて、メンタルなこと。
今の自分に必要なのは、愛でも金でも休日でも真実でもない。

普段強気な自分がどうしようもなく弱い。
でも今のどうにもならない気持ちをかきとめておくことで
時間の流れが一時的につかまえられるような気がする。

ものすごいたくさんのことがあって
たくさんのことが変わって
たくさんのことを考えたこの2カ月を
少しずつ残していこうと思う。

今日から。
流れに飲み込まれるのは終了。

充実感というのは、無自覚でなくてはいけない。
一時的に包まれるのはありだけれど
連続したかたちで自覚した途端に、フェイクになる。
他人へのPRでなく
自分へ納得させることでもない。
ふとそれに気がついてしまうと
今度はそれをなくす不安に毒される。

人生は美しい、だけど難しい。
[PR]
by miomiomiomion | 2011-06-14 05:28 | ワタクシゴト