世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
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シャルリ・エブドと日本の宗教

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フランスの週刊誌「シャルリ・エブド」のテロリズムの件に関する
言論の流れを見ていてぬぐえない違和感というか、居心地の悪さを感じている。
イスラム過激派対表現の自由、というわかりやすすぎる
(そして本質を必ずしも貫通していない)対立の図にして世の中を語るのは
「かたはらいたし」である。
テロリズムを正当化するつもりなんてこれっぱかしもないけれど、
イスラム過激派とかテロリズムにカテゴライズしてしまえば、
その対極に陣をとり、正義を掲げられるその「欺瞞」というか
先進国の「横柄さ」にうんざりするのは
私が気のよいイスラム教の人々の中で暮らしているからなんだろうか。

風刺画を楽しむ人たちもいるけれど、それにものすごい違和感を感じる人たちがいる
(それは過激派だけじゃないのだ)、ということを理解しようとしないのは、
「外国人だからという理由で日本の家で靴を脱がない外国人」にちょっと似ていなくもない。
表現の自由、ってのは問答無用の正義なんかじゃない。
(だからってテロはいけませんけど)

そんなとき、この京都のお坊さんのTED TALKに救われたというか、なんというか。

TEDxKyoto, Quest of religion(題名英語だけど、内容は日本語)

日本の宗教を料理のメインコースやカレーにたとえて軽妙に語られるトークは面白くて深い。
教義に忠実であるのは大切なことだけれど、もっと大切なのは宗教を違った人を尊重し、
仲良くやっていくこと。ひとつの宗教を妄信的に信じるあまり、
ほかの宗教と対立してしまうのは本末転倒で、宗教というのはそもそも人が感謝をし、
安心感を感じ、天命を全うするお手伝いをすることで、そして
安心感を感じる方法はひとつではない、
とかそういうやわらかい言葉の一つ一つがふわーとしみこんでくるわけです。
日本の字幕がひどいけど、これ英語の翻訳ないものかしら。
日本の寛容度の高い宗教観というのは
本当にこれからの世界の対立を緩和するツールになりえないか、
と私もまじめに考えたりするわけです。日本語なんで、ぜひ。
(字幕、校正して欲しい・・・でこういう内容こそ英訳すべき!)
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by miomiomiomion | 2015-01-14 02:00 | 社会を斬る