世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
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<   2011年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

かわいくない女

私は、ブログとメールは長いんだが
いわゆる「携帯メール」ってものを基本やらない女である。

その理由

1.打つのが面倒。間違えて打って、消している間に変な単語がはいったりして
収拾つかなくなってあきらめてしまうこと多数。
2.面倒な割に大したことが言えない
3.高校生の恋愛初期ならいざ知らず
わざわざショートメッセージで伝える理由がない

今日誕生日とか歓送会とかいろんな理由があって
9人の年下男子と1人の年上男性(62歳元自衛隊)という
非常に恵まれた環境でごはん&カラオケをしたわけなんだけど
ウキウキするってより
その何人かと携帯メールの話になったときに
その

かわいいメールっぷり

に心底ド肝を抜かれてしまった。

昔南スーダンにいたときに
女子がトイレに行くと結婚ができないと
言われた次くらいに人生で驚いたよ、いやまじで。

ちなみに彼らは全然「草食男子」なんかではなくて
みかけも女っぽいことなんてなんもない
普通にいけてる今な若者である。

男同士でメールをするのに
お疲れさま―(上気した顔)
昨日はいろいろごめんね(コアラ)
全然急いでないから(ピース)
外で待ってるよ(ニコニコ)(キラキラ)

とかそんな感じなんだけど。
で、女の子に書くときはそれがさらに加速して

●●ちゃんがいなくてさみしいよ~(もじもじ)
今度来たら絶対遊ぼうね(握手)
毎日暑いけれど、体に気をつけてね(スイカ)(キラキラ)(右に左に動くペンギン)

もうさこれ、会話のスピードいちいち絵文字で遮断されるんだよね。
考えてみてよ

元気?(しゅわっち)
私はすごい元気(サタデーナイトフィーバーポーズ)
毎日暑いね(うちわでぱたぱた)
でも頑張るよ(筋肉モリモリ)
そんな会話する人いたら、うざくない?
なのに携帯メールではそれが奨励される不思議。

百歩譲ってAKBのブログがこんなんは許せる。
女子高生が女子高生にデコメ出すのは
時間だけがたっぷりあるかわいさを演出したい年頃の愚としてありえる。

しかし、今の19歳とか23歳とか29歳(しかも男)ってのが
ふつーに仲間と会話するのにこんなにかわいいんだ。
時代は変わるなぁ。

ちゃんと彼らなりにルールがあって
年上には(年上の方から絵文字入りでメールが来ない限り)
絵文字は乱用しない(でもちょっとは使う)とか
気になっている子と普通の友達には絵文字に差が出るとか
あるらしいんだけれど、なんせ
「絵文字が入っていないとメールが怒っているみたいに感じてしまう」
という29歳の一言に、真性日本人気質を見るのである。

なーるーほどねー外国だって絵文字あるけど、
LoL(爆笑)←しかしこれは略語で正確に言って絵文字ではないとか
:)(スマイル)とか
:P(べろ出し)とか神経逆なで系である。
日本みたく、”お辞儀”とか”ピース”とかない。
右と左に動くペンギンもない。

「先帰ってて」とだけ書いたら、怒ってるのか、あきらめてるのか、わからないが
「先帰ってて(お辞儀)」とかあるとまぁ丁寧な感じはしなくもない。

何かあるかもしれないからメルアドを教えていわれて(何かってなんだろう)
(まぁあれだけ散々言ったから)絵文字マスターの人から
超控えめなメールが届いてておかしかった。
それでも絵文字は2つ重ねが基本なのね。(スマイル)(ピース)

細やかでおしゃれで、優しくて
日本男児なかなかいいんですが、
彼らよりも女らしくならねばならぬ日本女子は大変だ。
携帯メールの題名に件名そのまま入れて終わらせてしまう
私は女子力欠如どころか人間失格かも。

男の子にうけるメールテク、みたいな特集があったりするわけですが
男女の機微を紡ぐのはテクじゃなくて、ハートなんだよと思うわけだけれど
逆に、仮に興味をひかれた男性がいたとしても
最初に来たメールに絵文字が乱用されてたら、
絶対沸点さがりそう。
男はノートの切れ端に殴り書き、くらいがいいんですけど。(いつの時代だよ)

まぁ老若男女、人間関係の維持に携帯が大きな割合を担っている21世紀、
赤外線もできない私は恋のチャンスを逃してしまったりしてしまうのかもしれませんが
そもそも私、個人携帯が父親の携帯だという時点で、
日本では不戦敗なんである。

私が日本にいないときは私の個人携帯は
父伸一がでますんでよろしく。
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by miomiomiomion | 2011-06-30 23:10 | かるちゃー

時代の肖像

せっかくD700を買ったのに
全然写真を撮れていないのは
自分の「期」が熟していないから。
私が撮りたいのは「記録写真」でも「報道写真」でもない。

圧倒的な現実を前にして
言葉や感情を超えた真実にぶつかって
目の前の「やるべきこと」に没頭しているから
すごい勢いで変わっていく現状を
なすすべもなく、見送るしかない。

でも、これでいいんだと思う。
誰かを感心させたいんじゃない
自分を鼓舞したいわけでもない
「こんなにすごい被害だったんだよ」と伝えるのは
私の仕事ではない。

すさまじい被害の中でぐっとつかまれる
緊張のとける瞬間や
人間の強さややさしさや
そこに住んでいた人の思いが垣間見られる
そういう「物語」と「思い」を
私は大切にしたいと思う。

問題は私が「好き」か「嫌いか」ではない。
津波に破壊された街
いまだかつてない経験をした
日本人は、日本は
無力でたたずんでいるだけではないということ、
それからどんな状況にも
いや、むしろこんな苦境だからこそ
普段出てこない光や救いが見えること。

そういう「これだ」という瞬間を
私がまだ切り取れる実力がないうちは
私は目の前の仕事と
目の前にいる人と
今に、集中するだけでいい。

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陸前高田の高台に佇むお寺。
目の前に広がる街が津波に呑みこまれていく様子を
仏はどう見たのだろう。
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「こわしてOK」
所有者がスプレー缶で、周りにほとんどなくなった
自分の家の残骸に書いたときのことを考えると言葉がない。
思いのほかポップな響きと文字列に、あきらめを超えた静かな強さを見る。
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なぜか台所の中味だけきれいに整頓されたままの台所。
自分の家の他の部分は全て流されても、台所だけはそのまま
所有者を待ち続ける。
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3月11日、世界はひっくりかえった。
今も被災地にはスクラップになった車が大量に残っている。
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「完了」

自分の感情が、表現力が追いつかないもどかしさ。
言葉を並べて、消して、
イメージ的には作文用紙をちぎって丸めて
ごみ箱にいれていく作業を繰り返していると
ふっと正しい瞬間に立ち会えることがある。

語彙力をつけたい
文章力をあげたい
カメラの腕をあげたい

そういう、技術的なことももちろんあるけれど
今私が何よりしたいのは
人の深い感情のひだに立ち入る
「人間の機微」ってもんを
もっときちんと感じられるようになるってこと。
それにはいろんな人ときちんと話して
その場の空気と時間に生きて
自分の気持ちの消火作業と
自分の感情の消化作業の時間をきちんととること。
自分の「こうでありたいイメージ」と
「今そうであるイメージ」が乖離していかないように
自分にきちんと向き合うこと。

それができてないから、写真がとれないのかもしれないな。
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by miomiomiomion | 2011-06-27 04:07 | ナショナルミオグラフック

おだずなよ

先日は無駄にセンチメンタルですみません。
台風のようにたまにああいうこともありますが
私は元気です。

今日はまたInspiringな一日。
まず11時。気仙沼復興協会のTさんとミーティング。
被災者雇用の推進をやっている人で、
それ以外でも、事業の立ち上げとか
観光業の誘致とか
すんごいいろんなアイデアがある人。
話していて、こっちもワクワクしてくる。
今を動かせる人には、エネルギーと情熱とアイデアがある。
どううまくいくかなんて誰だってわからないけれど
アイデアを形にしていって
周りを巻き込んでいく過程で
いろんなつながりができてくる。
つながりができてくると
できないことができてくる。
何をやるにも、”自分がやれること”を積み上げていって
ほかのひとの”自分がやれること”をつなげていって
拡大していく、その作業がないと、復興なんて決してできない。
複合事業だから、単純な1+1なことではないわけ。
いろんなものがくっついてくると掛け算になってくる。

従来型支援の「かわいそうな人を助けよう」的な目線ではなくて
どうみんなを巻き込んでムーブメントを作っていくかという
クリエーターの視点。
どんな分野でも、新しいものを作っていける人には
人の心を動かす言葉を持っている。
ミーティング時間1時間20分。
終わったあとに、なんだか突き上げるような
「がんばろう」感に包まれる。
人を元気にする人。

いつもお弁当を買ってきてくれるOさん。
いつも飲み会に呼んでくれる人でもある。
資材班の頼りになるおやじ。
マッチョでファンキーで、一見こわもてだけれど
ハートのとっても温かい人。
いろんな人に気配りができる
愛すべきお兄ちゃん。
今日は本当は(昼から!)
気仙沼ホルモンを食べに行く予定だったんだけれど
ミーティングが長引いたんで持ち越し。
「みおちゃん、忙しいんだからさ俺が弁当買ってきてやるよ」
毎日いつでもどこでも、誰にでもそういうことを言える人。
周りにいつも人と笑い声が絶えない人。

2時からは市役所の環境課のHさんとミーティング。
先日、はえとかウジとか増えてきているという報告があって
前に一緒に働いた保健所の人に紹介してもらって
消毒専門のNGOと保健所の害虫担当の人とHさんと一緒に
意見交換をやったのだけれど、
今日はそのフォローアップ。
そしてこのHさん、「おいしいお米の研究会」というライフワークのある人で
お米のことを聞くと本当に楽しそうに熱心に教えてくれる。
情熱を傾けられることがあって
大きな大人なのに少年のようなすごく純な笑顔を見せる人。
環境課の人だから、公式には害虫駆除をしないといけない立場にあっても
「おいしいお米を作るには、実は自分は害虫駆除には不安を感じることがあってね」
そんな本音をさらっといってくれたりして、
なんていうかお役人さんとミーティングという空気でなくて
自分が物知りのおじさんにいろいろ聞いてみたい小学生みたいな気分になってくる。
その道の専門家とかライフワークを追求している人に会うと
また新しい視点が開いてくる。
「お米ができたら、ちゃんとあげるからね。うちのお米は日本一おいしいんだからね」
とかそんなことを言ってくれる人。
まだ会って2回目なのに、ああ、こういう人好きだなぁとハートがとけちゃうわけです。
で、そういう人と一緒に仕事をすると、おいしいお米とは関係なくても
害虫でも消毒でも、楽しく仕事ができるわけ。

4時から、ここにきているアメリカ人のボランティアさんが
児童館で「俳句」と「おりがみ」と「ダンス」をすることになっていて、
こういうのはどう?というアイデアを交換する。
アメリカ人が日本人の子供に教えるのが俳句とおりがみってのが
笑ってしまうのだけれど、「何かをやりたい!」という純粋な気持ちで
集まってきた異国の若者たちと話していると
自分がこの仕事に関わることになった原点の気持ちを思い出す。
「何かをやりたい!」「これがやれるかも」「じゃあやってみよう」「どうにかなる」
(そして本当にどうにかなるのがすごい)
心配して危険をおかさないのは簡単だけれど、
人生肝要なのは「失敗しないこと」ではなくて「何かをやり遂げること」なのだ。
それが”何”かはなんでもいいわけ。
要するに守りに入らないで、攻めの姿勢でいること。
これがなかなかできなくなってくるんだよなぁ。

で、5時半からは地元の若者・事業者ネットワークと震災後3ヶ月後の意見交換。
気仙沼に住んで、仕事をしている人たちが
自分たちの意見を忌憚なく発表する場。
笑いあり、涙あり、歌あり、名刺交換あり。
「とにかく自分の足元から、これからを動かしていかなければいけない」という使命感。
「自分のやれることは何かを考えたら、これしかないと思った」という劇団主宰の男性。
「今はいろいろ注目を浴びているけれど、あと1年たってどうなっているかわからない」という
わかめ販売のおじさん。
「がんばろう東北」という言葉にずーっと違和感があったのは、がんばろう=我慢しろ
というニュアンスがあったから。がんばろうと外部の人に言われるのではなくて
おだずなよ!(ふざけんな)まけてたまるか気仙沼~という自分にも、周りにも
ストレートに気持ちをぶつけるほうがしっくりくる」という被災者の女性など
いろんなエネルギーに満ちていて、まだ具体的に
「じゃあ何をやろう」という段階には機が熟していないのだけれど、
いろんな芽が出てきそうな、何かをやろうとしている地元民がこんなにいる。

そしてそのあとはNGO・NPOの外部支援者と焼き肉で意見交換。
(ただの飲み会、いや酒なしで←みんな車)
変化というのは、内部から出てこないといけないものなのだ。
外部からつついて、何かを出そうとしてもそれは本物ではない。
そこにいる人が、やろうとして初めて、その土地の復興の準備ができる。
アイデアや金や情報は外から持ってこられても、
エネルギーというのは、自然発生するようにもっていかないと
変化があってもそれを長続きさせることが難しい。

私は今回の被災地は気仙沼しかほとんど知らないのだけれど
未曾有の災害を超えて、
これからぞわぞわと動いていきそうな予感がある。
人は大きな困難を乗り越えると、大きくなる。
がんばれ、ではなくおだずなよ!な感じ。
私が被災した人に「気持ちがわかります」とは間違っては言えないけれど
「がんばって!」と外部からエールを送るのではなくて
もうすでに動き始めている、そしてこれからもっと大きくなりそうな
ムーブメントに私も参加すべく、
アイデアと行動を起こしていきたいと思う。

決まった答えなんて人生にはないように
復興にもマニュアルはない。
こうやったらどうだろう?というひょんと浮かんでくるアイデアを
プレゼンして相手に、周りに伝え、賛同者をつなげていく。
別の人の違うアイデアとつなげて大きいものを作っていく。
うまくいかなかったら、ちょっと待ってみるか軌道修正して
とにかく少しずつ前に進んでいく。
いろんな思いとアイデアと能力を持った人たちが
合同でシナリオを書いていく作業。
たいへんだけれど、休みはないけれど、
とても楽しいのだ。

あーこれからレポート書かなきゃー!
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by miomiomiomion | 2011-06-17 00:41 | お仕事

君流れること勿れ

今の私は、
時の濁流になすすべもなく
流されている材木のごとし。

浮いているのだけれど、
進んでいるのだけれど、
どこに行くかも
どこに落ちるかもわからない。

雨が降り、花が咲いて、うぐいすがないて
季節は着実に変わっても
それは材木が流れているからではない。
単なる舞台設定の転換。

人生は直感と行動の積み重ね。
でも直感が人生に持ち込むものは
ときに鋭く、ときに痛い。そして切ない。

そんな痛みも鋭さも切なさも
自分が成長するための必要なプロセスだと
納得させながら進むしかない。

進むというより、呑まれて
すごい勢いで流れている今。
仕事のこと、気仙沼のこと、
ソマリアのこと、これからのこと、自分のこと。
ガス代のこと、引っ越しのこと。人の気持ちのこと。
考えてもどうにもならないこと。
考えたら辛いこと。
考えなくても辛いこと。
私は何かを待っているのだけれど
何を待っているのかわからない。
オプションはたくさんあるようで
選べるものは限られていて
選べる道は、いばらそしてたぶん崖。

先週読んだ村上龍の文章で激しく共感した文章がある。
長いけど引用したい

「この世の中には3種類の人間がいる。一つ目は、充実感とは無縁の
退屈でつまらない人生を歩んでいる人々だ。だが彼らは、自分たちがつまらない
人生を歩んでいるとは思っていない。そもそも充実感を知らないから、
彼らにはつまらない人生という概念も充実した人生という概念もない。
彼らは、自分たちが安定した多数派に属しているという安心感を得るために、
つまり退屈でつまらない自分の人生について考えずに済むように
テレビを見て、雑誌や新聞を読み、仲間と雑談する。
二つ目はひょっとしたら自分の人生はつまらなく退屈ではないかという疑いを持っている
人々だ。彼らは不安を持って生きているが、充実とは何かを、ぼんやりとではあるが、
知っている。充実感の断片をあじわったことがあって、なんとかしていつもそれを手元に置いて
おきたいと思っているが、どうすればそれを入手できるのかはわかっていない。
三つ目のカテゴリーの人々は数が非常に少ない。充実した人生を送っているが、決して
そのことを自覚しない。彼らは例外なく多忙で、自分の果たして充実したものかどうかなど
考える余裕がない。つまり興味深い事実があって、充実した人生を送っている人も、
退屈でつまらない人生を送っている人も、ともにその自覚がないということだ。
三つ目の集団、つまりひょっとしたら自分の人生は退屈でつまらないものかもしれないという疑いと
不安を持っている人々だけが、充実や退屈について考えている。
そしてずっと不安状態で生きていくことはできないから、やがて二つ目の集団の人々は
一つ目の集団か三つ目の集団のいずれかに吸収される。もちろん大多数の人々は
一つ目の集団に吸い込まれていく」

ふっと多忙の波から頭を突き出してみたときに
言葉にできない不安だったり、答えのない疑問だったりに
ぶつかって、慌てて多忙の波に戻っていく。
でもその不安や疑問にちゃんと立ち向かう時間を作らないと
次のステージに進めない。

フィジカルなものじゃなくて、メンタルなこと。
今の自分に必要なのは、愛でも金でも休日でも真実でもない。

普段強気な自分がどうしようもなく弱い。
でも今のどうにもならない気持ちをかきとめておくことで
時間の流れが一時的につかまえられるような気がする。

ものすごいたくさんのことがあって
たくさんのことが変わって
たくさんのことを考えたこの2カ月を
少しずつ残していこうと思う。

今日から。
流れに飲み込まれるのは終了。

充実感というのは、無自覚でなくてはいけない。
一時的に包まれるのはありだけれど
連続したかたちで自覚した途端に、フェイクになる。
他人へのPRでなく
自分へ納得させることでもない。
ふとそれに気がついてしまうと
今度はそれをなくす不安に毒される。

人生は美しい、だけど難しい。
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by miomiomiomion | 2011-06-14 05:28 | ワタクシゴト