世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
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<   2012年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧

ホットサンドパワー

えー、3月11日からブログがフリーズしておりますが当人は元気でございます。
デング熱再発とかしておりませんし、
むしろ、病後からその勢いで大丈夫?ってな感じで爆走中。
大きな仕事を抱えて、で友達が来ていたりして
夜2時半起き、朝5時半起きとかそんな生活。
週末も朝6時には起きていたし。
やりたいこと全部やろうとすると
どうしても睡眠時間をどうにかするしかないんだよね。

今月は、すんごいたくさんの人に再会&出会いました。

昔の部

日本から、内閣府事業関係の知り合い(友人というには偉すぎる方々)3人
サモアの友人からの紹介の女子大生
気仙沼時代の友人
スリランカ時代の友人
来ラオ。よくしゃべりました。
いいねぇこう刷新する人間関係。
人間関係はひたすら広げていくものではなく
ゆっくりと深めていくべきものだというのが持論になりつつあるのだけれど 
10年来(かそれ以上)の寄り道でゾクゾクするような瞬間を共有した人と
再会して、過去を温かく甘酸っぱく振り返りつつ、ばりばりまだ現在進行形という
「今」な感じが嬉しい。これがお互いに60歳とかなってしまうとまた
感慨ばっかり強くなりそうだけれど。

新規の部

で、在ラオ日本人でBBQしたり、
同僚の送別会でたくさんのフランス語圏の友達ができたり、
オーストラリア人の友人とケーキを焼いたり、オランダ人の友達と月見したり、
ドイツ人の友達と休暇計画たてたり、ラオ人の友達と遊びにいったりもした。
いやーもうそれはそれは。3月でゆっくり一人で家にいられたのって10日と27日だけ。
休暇とっても全力。そりゃ疲れるわ、高校生じゃないんだし。
しかし、こういう生活してるとまた婚期逃しそう~笑←笑っている場合?

で、まぁよくいろいろ人に昔から「よくそんなにパワーがあるねぇ」といわれ続け
「秘訣は何?」とよく聞かれると
よい友人、お風呂に入る、日記を書く(自己内省)をあげていたのだけれど
ちょっとそれに3月はホットサンドをいれたい。

ホットサンドというか、要するに必要なのは「よい食事」なんだけど、
ま、それだけ3月の私のホットサンドの割合はほぼ80%で(朝の話)、
料理といっちゃおこがましいのだけれど
パンにいろんなものをぬったりいれたりして、蓋してジュー5分、
という手軽さがうけて(私に)
ほぼ毎日ヘビロテ中。

よって私の実エネルギーの源はホットサンドなんですよ、この3月の。

お気に入りは
うにペースト+モッツァレラチーズ+しめじ+たまねぎ(文句なしにうまい)

あとは
シーチキン+マヨネーズ+ねぎ+チーズ とか
しらす+ジャノベーゼ(庭のバジルからの手作り)+川のり+唐辛子 とか
トマトペースト+はむ+たまねぎ+野菜+チーズ(要するにピザトースト) とか

応用がいっぱいきいて、しかも「なんかやってる感」がいいのです。
これにいれたてのコーヒーにホットミルクたっぷり注いだら朝は完璧だよ。

ということで、頭とお尻があんまりちゃんとつながっていない
悪質コラみたいな今日のブログですが、生存報告ということでご理解下さい。
いやーもう3月終わっちゃうなー。

今日は出発まで時間あるので、3月の出来事をぼちぼちアップデートしようっと。
今週末はタイへ。来週は一週間中間管理職(Middle class managers')
WorkshopがありますIn Bangkok.
ソマリア時代の同僚とか高校の同級生とか東亜船の仲間とか
震災のときに一緒に仕事した同僚とかいろんな人に会えそうな感じ。

休暇(ホリデー)ってんじゃなくて、ゆっくり休息は来週までおあずけ。
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by miomiomiomion | 2012-03-30 08:17 | 料理する

買物天国

買物もいいけど・・・
としたり顔で書いておきながらここルアンパパンの目玉の一つが

ナイトマーケット


これがねー歩行者天国よろしく道路いっぱいに二列になって
お店が夜になると出て、Tシャツとかティッシュカバーとか、ポーチとかかばんとか
食べ物とか、ランプとかキーホルダーとか少数民族の刺繍のついた小間物とか
とにかく本当にカラフルでポップで楽しい空間なのだ。

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でね、店がだーっと並んでいるのだけれど、やさしい色の照明で
まるで京都の路地裏のような、落ち着きというか温かさに満ちた空間になっている。
人が多いのに、すごく静か。
いろんなものがあるのに、ある種の整然とした秩序があって
やさしい夜のひと時がすごせるのだ。

もうまっくらになってしまった見えないけれど川べりに座って
薄っすらと切り取られた三日月をみながら足のマッサージをやってもらったり、
ちょっぴりスパイスのきいたラオス料理を食べながら終わらないビールを飲む。

で、また最高なのがこのマーケットの値段設定。
大きな刺繍のショルダーバックをみつけて
「いくら?」「400円だよ」
「350円にまけて」「オッケー」と
ぱぱぱぱと交渉が成立。
まけるのが申し訳ないほどの良心的価格。
ポーチが100円とか
絹のスカーフが500円とか。

お店を並べている人も「儲けよう!」という鼻息の荒さがなくて
アフリカのマーケットの
店の人「いくらなら払うんだい?」
ミオ「そっちがいってよー」
店の人「これは80ドルするんだけど、君にだけ70ドル」
ミオ(どうみたって20ドルでいいよね・・・)
みたいな精神磨り減るやり取りがなくて
嬉しい(笑)
それでも世界のマーケットで買物している私は
友達にいわせると
「みおさんの値切り方って半端ないっすね」ってことになるみたいだけどw

家のレイアウトをいろいろ考えながら結構たくさん買いました。
ベッドカバーとかかばんとかティッシュケースとか
友達にあげる象のポーチとか。
で、衝動買いしたのがよだれかけ(ステイとかっていうんでしたっけ奥様!)

一目ぼれして20枚くらい買っちゃったよ~
昨年は子どもが生まれた友達がたくさんいて
あーかわいいのがないなぁと思うことが何回もあったので
買い置き。
ま、自分のために使ってもいいけどね!←いつ?

うーん、満足!
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by miomiomiomion | 2012-03-25 23:39

非日常の穴

旅に出たら、
やっぱりそこの空気を吸わなきゃ。
そこのごはんを食べなきゃ。
自然につつまれなきゃ。

買い物も楽しいし、
おしゃれなレストランもいいけれど
「○○しなきゃ!」じゃない
ぶらぶら~の町歩きで
五感の窓を大きく開ける。

写真集なんかだと超幻想的に写っている托鉢が
実際は某国の派手派手でうるさい旅行者が「托鉢経験」すべく
並んで、全然遠慮のない西洋人の若者が至近距離で大きなカメラをむけてたり
ケニアのサファリで、えさに群がるライオンに群がる旅行者(とその車)を彷彿とさせる
光景が繰り広げられていたり。

素敵な、ワクワクする、楽しい、
そういうプラスなことばっかりじゃなくて
その向かいあわせになる闇と沼にも目をむけてみる。
「発展途上国の子どもの瞳に先進国の子どもがなくした光をみた」みたいな
使い古しの台詞じゃなくて、子どもの瞳の中にふかーいマンホールみたいなものをみたり
きらっきらに光ってる割に虫を虐待していたり、
現実の容赦なさに、圧倒され、苦笑して、びっくりして、うなずかしてもらう、
ってのが町歩きの醍醐味だ。
なんかを探して、確認して写真を撮る、ってのが旅行なんじゃない。
非日常の穴を覗いてみて、普段考えないことに頭と心を動かしてみるのが
私の旅の大きな目的だ。

よいことも、悪いことも、すごいことも、ごったまぜ。
感想は準備しておかないで、現地で料理する。
食べたことないものも食べてみる。
あ、でもさすがにこの断末魔の叫びのようなコウモリは無理でしたが・・・
あとねーラオ語のスキルをあげないと
「どうやって食べるのですか」とか「これはなんですか」は聞けても
答えがわかんないw

無念~

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彼らもさぞかし無念だろう・・・

お口直しにこんなお写真を☆

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by miomiomiomion | 2012-03-24 23:50 | 料理する

旅の味

昔から、新しい刺激を受けるのが好きで
行ったことないことをするのが好きで
やったことないことをやるのが好きで

旅好き

を自認していたのだけれど、趣向が変わってきた。
自分が変われば、視点が広がれば、心に響くものも変わってきて当然なわけで。

今も新しいところにいくのはワクワクするけれど、
がっつり朝からイベントを詰め込まないで
ちゃんと途中でビールを飲む時間を入れたい。
新しい出会いを拒絶しないけれど
最初っから出会いを期待しない。
むしろ自分と肌の馴染む人と一緒に同じ景色をみたい。
その人がすんごい超大親友っていうんじゃなくていいの、
あ、この人のこと知りたいなと思えればそれでいい。
無理せず、無茶せず、でも自分の視点と違う視点をゆっくりと混ぜ合わせる。
二人いると見える景色が
三人いるとそこの空気が
変わってくる。
大勢でわいわい大騒ぎするのよりは
少人数で、企画をゆっくり作りながら楽しめるのが理想。

昨年はそういう旅が多かった。
1ヶ月半のアフリカも
ヨーロッパの旅も
クリスマスのマラソンも
今年の最初のマレーシアも
ふっと途中で一人になることはあっても
きれいな景色を見るときは、
何か面白いことをやるときは、ワクワクできる誰かと一緒にいたかった。
学生時代の友人や、昔の旅先のゲストハウスで仲良くなった人や
元の職場の人や、ボランティア時代の友達なんかもいて
知り合った期間も、2年越し、5年越し、10年越し
ちょっと前に会ったばっかりという人もいたし(笑)
同僚もいたし、親友もいたし、元彼もいたりして。
なんていうか無理やりタイムトリップするとか
時代の流れにあがくのではなくて
今の自分が、気持ちがいいつながりを旅を通じて広げていきたいな、という
そういう時期。

今回の旅はルアンパパンという世界遺産の小さな寂れてでもポッシュな町で
気仙沼で知り合ったT君と、スリランカ時代の同僚のCさんと。
こうやって、自分の友達を引き合わせるのも楽しいこと。
で、何も接点もないと思ってた二人に共通の知り合いがいたりして
世界は私たちが思っているのより、ずーっと深くて面白いのだ。

旅のレポートはまた改めて。

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by miomiomiomion | 2012-03-23 20:11 | 旅の記録

一年後の今、思うこと

2011.3.11 は多くの人の人生を変えた。

私は当時ソマリアにいて飛び込んできた同僚にせかされてみた
CNNの映像を見て言葉を失った。町が津波に飲み込まれていくその映像が
何度も何度も繰り返された。その後、日本で3ヶ月ほど緊急支援をするために
出向したのだが、今でも「もっとできたんじゃないか」と自問することが何度もある。

3月11日は過去になったが、終わったわけではない。
多くの友人がそこに残り仕事をしているし、見つかっていない人もまだたくさんいる、
福島のことだってある。私はまたもとの仕事に戻って日本から離れてしまったが、
震災前の私とは同じではない。自分が大切にしていたものや
人がこんなにもいきなりなくなってしまうことがあること、昨日あったものが今日ないこと。
人生は当たり前のように流れていても、限りがあることを
私たちのどれくらいが気がついていただろう?
緊急援助・復興支援を専門で、世界の紛争地や被災地を転々としてきた私でも、
こんなに重量感をもって人生のはかなさを感じたことはなかったように思う。

明日もし自分の人生が終わっても後悔しない生き方をしているか。
自分の愛する人にちゃんと愛を伝えているか?
日本にいる間、たくさん涙したし、笑いもしたし(それが人生の妙だ)
特に気仙沼にいる間にたくさんの素敵な人と仕事ができたことは本当に幸運だった。
町は壊滅状態だったけれど、そんな彼らを通して、
私は日本の将来に光と希望を感じることができたんだ。
良心、勇気そして行動を通して、日本は立ち上がった。
今メディアから伝え聞く日本のそれは震災後のそれとは全く違う。
正直に、日本人に生まれてよかったと思うし、
私も日本クオリティに恥じない立派な日本人でありたいと思う。
世界に出ても、私はちゃんと日本人であり続ける。

日本だけではなく世界中から違ったスキルや思想、年代と
やりたいことをもったたくさんの人たちがきて、
そして現地の人たちの強さにあって、今までの生き方を私も見直したのだ。
そういう意味でこの震災は私を変えた、と言えると思う。

出会えた人たちに、出会ってないけれどがんばっている人たちに
レスペクトと感謝と愛を。
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by miomiomiomion | 2012-03-11 03:16 | ワタクシゴト

雨の土曜日に

雨が好きだ。
それもしとしと降る梅雨みたいのとか
ニュアンスのあるパリみたいなんじゃなくて
アジア、アフリカの天から滝が落ちてくるような豪雨が好き。

豪雨のときにバイクで通勤というのは苦痛だけれど
今日みたいにまるまる一日特に外に出る用事がなくて
大きな窓の外には、心をがしがし洗い流すような大雨が降ってるとき、
私は一日の始まりがとっても素敵なものになる予感がする。
晴れの日のワクワク感とはまた違った、ゾクゾク感とでもいうかな。

ラオスにきてこのうちを借りる決め手になったのが大きな窓とメコン川。
おうちの中から、大スクリーンの窓にうつる豪雨と雄大なメコン川をみると
映画のなかにいる気分になってくる。ストーリーのない、自然の猛威。
そこになすすべもなく立ち尽くす(実際は座っていても)自分。

濃紅のブーゲンビリアが雨に打たれている様子ははっとするほど美しいし、
屋根に規則正しく落ちる雨音はまるで今日のために用意されたBGMのよう。

ゆっくりバスタブにお湯をためて、雨音を聞きながら、読書をする。
バスタブで本を読むと、ふっと「冷静と情熱のあいだ」の主人公の美しい女の人を
思い出す。彼女はいっつもお風呂にはいっていた。(映画は覚えてないけれど
原作の本では、彼女はお風呂でよく読書をしていたのだ)

外が大雨+バスタブ+読書、たまにグラスワイン(←これは夜)
もしくは雨+キャンドル+ラベンダーのオイル+顔パック

それだけで人生のグレードがワンランクアップする(気がする)のが大雨の効用。

雨降って固まるのは、地だけじゃないのだ。
気持ちが流れたあとに、残るのはさあまたがんばろうという上向きの精神。

今週は久しぶりーに外出しないでゆっくりする。
朝風呂+読書もそうだし、昨日のBBQの後始末をして、
きのことチーズとたまねぎのホットサンドを作って
昼はそうめんを作って
夜はえびを解凍してパエリアを作った(つもりがただの炊き込みご飯であった)
雑誌を読んで、次の休暇でやるべきことのリストアップをし、
来週の予定を見直して、
ちょっとだけ友達とスカイプして、
最近日課になってる筋トレとダンベルと、ラオス語。

スケジュールに☆をつけたくなるようなスペシャルイベントがなくても
いやないからこそ、自分の巣に戻って、ふーっと息をはきだす時間にする。
明日は3月11日、東日本大震災からまるまる一年だ。

ゆっくり内省する日を作ろう。
雑念も雑音もゆっくり噛み砕いて
今の自分に向き合う時間があると
自分の根っこが太くなってくる。
広げなくちゃいけないのは、視野と翼ばかりではないんだな。

雨が降る週末は、自分の根っこを育てる日。
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by miomiomiomion | 2012-03-10 08:02 | 衣食住

国際婦人の日らしい

ね、ね、International Women's dayって昔からあったっけ?
少なくても私が小学校の時とか高校とか、いや大学院の時も
「国際婦人の日」なんて祝ったためしもないし、存在も知らなかったよ。

なんか女性にプレゼントするってわけでもないし
(あ、でも今日同僚からかわいいガーベラをもらった)
なんか特別な食べ物(ちらし寿司とか)を食べるわけでもないし
相撲取りが境内から豆をまくわけでもないし(それは違うイベントだし)
どうもイベントとして確立していない感は否めない。

しかし調べてみたら

Quote

1904年のこの日、ニューヨークの女性労働者たちが女性参政権の運動を起こ
したことを記念するものです。1910年の国際社会主義者会議でこの日を国際
婦人デーとすることが議決され、それが普及しました。日本では1923年のこ
の日にこれを記念した集会が初めて開かれました。

Unquote

し、知らん知らん。そんな歴史のある日だったとは。
国際社会主義者会議(このネーミングもすごい。ソビエトかと思ったら
コペンハーゲンで開催されてた。)でこの日を国際婦人デーとすることが
議決され、それが普及しまし・・・・してるか?してる?してないよね。

国連で働いて9年目になりますが
Awareness campaignの一環かなんかで
近年に設定されたものだと思ってました。ユニセフの手洗いの日、みたいに。
開発に従事するものとして、その認識はまずいのでは。

しかし、この「国際婦人の日」、2006年にスーダンにいたときに
村でイベントをやりまして
ブラをつけたおばさんたちとシーツに「女性と子供を暴力から解放する」という
スローガンを書いて一緒に町を練り歩くという愉快なイベントでしたが
それで、男性の暴力が減ったかどうかは定かでないし、
ソマリアでは女性ばっかり集まって女性がいかに社会進出をするべきかという
集会がありましたが(で私そこでスピーチしたんだよな)
男性はどこ?!って感じでしたから

なんていうかこの婦人デーイベントの
いや、Gender equalityとか女性の社会進出とかは大切よ、
しかしそれをイベントとしてどう効果的に組み込んでいくかというのは
ちゃんとExploreされきれてない気がする。

今年の国連のテーマは

農村婦人の権利と可能性の拡大-飢餓と貧困撲滅を目指して

なんだけど、なんていうか、一般の人にとっては
現実感がわかないだろうなーという遠さがあるし

電子辞書に入っている百科事典の説明の

女性解放と平和のために闘う国際的連帯行動の日。
3月8日に各国で集会やデモ行進が行われる。
国際社会主義労働運動の一環として創設された。

というのも、こうセピア色というか
ブロンズ色というか、白黒映画で早送りのチャップリンがでてきそうな
自分と重ねられる「今」の感覚がない。

ゲーム感覚というかある種の軽さとか華やかさとかCoolさがないと
魑魅魍魎でなんでもありの現代社会では
Stand outするのが難しい。
女性の権利を主張する、という
福島瑞穂とか田嶋陽子的ななうるささじゃなくて
紺野美沙子とかアグネスチャン的な優等模範な感じでもなくて
好きか嫌いかはおいといてとにかく目につくAKB的な
こう、女性っていいもんだよー楽しいよーという
Entertainingなフォーカスをして売ってかないと
女性の日ってのはいつまでも
微妙な立場から抜けないだろうなぁ。
でも下着で踊られてもその「解放」じゃないだろ、という
各方面からのつっこみが出そう。
というか、世界的に「婦人デー」を祝う主軸がない、のが
このイベントの難しさ。
アフリカの農村と、東京のど真ん中と、ヨーロッパの歴史のある町と
女性の立ち居地って違いすぎるからね。

それにしても海の日とか猫の日とか
恵方巻きを食べるとか
知らないうちにいろんなイベントが増えていて
なんかこう時代から取り残されている感をもつ今日この頃。

というわけで、国際婦人の日、おめでとう。
女性のみなさま、立ち上がりましょう。
(適当なまとめ方だなぁ、おい)

過去の国際婦人の日に書いたブログ。2009年はキューバにいてた。なつかしー

2011年3月8日 国際婦人の日(ソマリア)
2008年3月8日 フェミニズムなる宗教?(スーダン)


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by miomiomiomion | 2012-03-08 21:55 | 社会を斬る
今日は仕事が終わってから
ドイツ映画をドイツ大使館にドイツ人の友達と観にいきました。
で、お約束のビールを飲みながら(ビアラオだけど)
鑑賞したのが

BASTA - C(r)ook

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ドイツ映画って今までノーマークというか、
マレーネ・デートリッヒくらいしか浮かばないけど(How classic!)、
この映画がなかなかカメラワークはいいし、
BGMの選択も絶妙で、
ユーモアも理解の範囲をちょっと押し広げるくらいだし
(Little Britainみたいに完全場外だとちょっと困る)
ちょっとイタリア映画的な雰囲気のある軽快さと
フランス映画的なアンニュイな感じ(女性陣!)と
私のツボにすとーんと入りました。
全然ハッピーエンディングじゃないのにすっきりする不思議な余韻。
人もいっぱい死ぬし、暴力も満載なんだけど、全然陰惨な重量感がないし
ロマンティックなシーンもあるんだけれど、ウェットでない。
いろいろ詰め込んであるのに、おなかいっぱいにならないのは
音楽の選択と役者の巧妙さだなぁ。

ドイツ映画ってもっとどよーんとしているかスクエアな感じかと思ったら
全然違うのね。ま、日本映画が全て小津安二郎なわけじゃないのと一緒だけど。

ハリウッドもボリウッドもみるけれど、私が好きなのは
こういうノーマークで俳優も全然知られてないけれど
独特な世界観をもつ、後味の悪くない映画(”よい”必要は必ずしもなくて)。
自分の普段使わない脳の部分に染み込んでくる様な感覚とか
そうくるか!みたいなでも狙いすぎてない変化球とか
そういうワンダーランドな世界を展開してほしい。
味のある美男美女というか、ザ・オーラが出ている人を見るのも楽しい。

ラオスはまだ映画館がちゃんとなくて隣国タイもまだまだハリウッド大作がメイン。
裏道のくたびれた小さな映画感で珠玉の映画をみたいなぁ。
ニューシネマパラダイスみたいな、プリンスチャールスとか。
日本で言うと早稲田松竹か、で終わったあとで小さい喫茶店でコーヒー飲みながら
映画の感想を言い合うの。くーそういう時間いいなぁ。
そういう映画館、ビエンチャンにもできないかなぁ。

ま、DVDが50円で買えるお国柄なので、映画館はビジネスとして
なりたたなさそう・・・残念~
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by miomiomiomion | 2012-03-07 22:28 | 映画評
「断捨離」が流行る中、時代に反逆する勢いで
物が増えているワタクシ。
基本化粧しないし、ブランド物ももたないので
イメルダ夫人路線ではありませんが
それでも、物欲なくなんないんだよね。

この10年で10回という年平均一回という
引越しだらけの人生なのと
偏狭地、紛争地での生活が長かったので
同年代の女性に比べたらだいぶ物は少ないと自負していた昔。
ダンボール5箱とかトランク2個とかで人生が集約されていて
それでも全然問題なかった昔。

ものがないならないでそれでも大丈夫なのに、
でもあるところだと欲しくなるのが人間の性。
数年前までテントだったというのに
いまや屋敷ですから
失われた青春時代を取り戻すかのように
結構さくさく買い物している今。
いやさ、お金は貯めるものじゃなくて使うものだし。

先週赤いソファーとダンベルを買った話をしましたが
昨日は鏡をオーダー。
今日はちょっと前に頼んでいたKindle touchがきまして
それから友達と一緒にGalaxy noteを買いに行きました。
ついに、私もスマホデビュー!ヒューヒュー。

携帯電話を携帯しないので有名な(?)私が
携帯電話は電話と必要最低限の携帯メールしかしない私が
なぜ、スマホなのかというもっともな疑問はありますが
いやさ、ちょっと前にGalaxy noteみせてもらったときに
惚れたんだよね、その鮮明な画像と情報の出現の早さに。
使っている友達の情熱のこもったセールストークに乗せられ
(彼は別にSamsungで働いているわけじゃないのだけれど)
あー私も買おう!と躊躇なく思ったわけです。

What's Up使おうとかTwitterまめにアップしようとか思わないし
(Twitter,やっぱり14文字で自分を・社会を的確に表現するの無理!)
写真とってデコデコに飾ってメッセージ書いて誰かに送ろうとも思ってませんが、
とりあえず、ニュース読んだり、日々の思考をメモしたり、
さくっとメールを送ったり、Cookpad検索して料理したり
そういう「できる女」風ツールとして活用したいと思います。
いやさ、持ち物で人の判断はするなとかちょっと前に
書いておいてなんなんだけれど
女の価値があがる!とか言わないけど、
価値はともかく、気持ちはあがるね!
会社提供のちびっこNOKIAでことは足りるんだけれど、
大人としては「ことが足りる」アルファの価値があると嬉しい。
このつるつるのブラックボディーと、がっつり手に収まる男気が素敵☆
物のついでに、自分アップグレードの機会にしてしまいましょう。

そのうちみおガジェット通信とかやるかもしれません・・・・いや、それはないな笑
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by miomiomiomion | 2012-03-05 23:58 | ワタクシゴト

友達の作り方

かっこいいとかセンスがいいとか頭がいいとかスタイルがいいとか
将来性があるとかそういう条件で見る目を曇らせないで
会話を楽しめるかどうか、がとっても大切だと思うんだな。
人間関係においては。

「婚活パーティに行ったら、名前より先に年収をきかれてびびった」
とかそんなニュースを読むとなんだかなーと思ってしまう。
友達にしても彼氏にしても、好条件→好きになれる
というんじゃなくて、まず本能というか、感覚の部分でぴん!とくるかが肝要だ。

こんなにたくさん人がいても、「おおお!」となんかの自分アンテナが触れる人は特別。
そのアンテナがもってるお金とか肩書きにしか反応しないっていうのはやばい。
物質主義に毒された人間が落ちていく行く末には、上向き成長のスペースがない。
物質的に満たされた生活ができたとしても、動物の部分が切り離された人間が
心が震えるような瞬間にどれだけ立ち会えるのだろうか。
根っこのとれたフラワーアレンジメントみたいに一時はすごくきれいでも
道端に根強く伸びている野の花の美しさと生命力にはかなわない。

ま、そんな序文はよいとして、
今日マッサージにいったら、カップルルームに案内された。
半分裸のラオス人の女性がいて、一瞬ひるんだのだけれど
彼女が「サバイディー」とにこにこしているので
こっちもあいさつをして、隣でマッサージをした。

カップルルームに知らない人同士をいれちゃうのがラオスだなー、なのだ。
日本的な感覚でいうと「え!?」と思ってしまうのだけれど
値段も10分の一くらいだし、日本の常識で「ちょっと!」というのも気が引けるから
こういうときはラオスの風にのってしまう。
BGMが微妙なカラオケだったり、
テラピストのお姉さんたちがマッサージ中におしゃべりしちゃったりするのだけれど
マッサージを受けている彼女も、「あなた日本人っぽくないわね」とか言ってきて
楽しい時間を過ごしたのだ。リラックスーってのとはちょっと違うけどね。

で、今日は7時からルクセンブルグ人の同僚のお別れ会があったのだけれど、
そこでマッサージの彼女と再会。彼女のだんなさんがフランス人で
そのつながりで彼女も呼ばれてたのだけれど、
昼間に一緒にマッサージしただけなのに、(ある意味裸の付き合いである)
なんか十年来の友達のような感覚になってしまう不思議。

アンテナがどう、というわけじゃないのだけれど
最初に「サバイディー」とにこにこ挨拶されたときから
彼女の空気には人をまろやかにさせるものがあって、
パーティでしゃべったら、いろいろ出てくるものがあって楽しかった。
今日のパーティでも知らない人にたくさんあって、
ああ、また会いたいなという人が彼女も含めて3人ほど。
友情もまず「なんかよくわからないけれど、いいじゃん」
な感覚的な感情から始まるんでいい。
会話がどんどん流れるとか、笑いが絶えないとか、終わった後の余韻がいいとか
そういう五感のワクワク感を大切にしたい。

”ネットワーキング”という言葉に私がいらっとしてしまうのは
「価値がある人とつきあう」という計算された感覚。
もちろん、自分にとってプラスな情報をもたらしてくれる人との出会いや、
人脈を広げることが悪いことではないけれど、
「うまみがある」からつきあうんでなくて「楽しい」からつきあう、
というスタンスで私は自分の周りの人間といたいと思う。
自分と違う世界をみてきている人たちとつきあうことで
自分の世界は確実に広がる・深まっていく。

どこでどういう友達ができるかわからないから人生って面白いだなぁと思う。
大人になったら、友達ができないとたまに聞くけれど
それはきっといろんな計算をしすぎるから。
年齢も国籍も信条も仕事も関係なくもっと自分の
「この人と一緒に過ごしたいな」という気持ちに素直になればいいだけ。
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by miomiomiomion | 2012-03-03 11:37 | お友達