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世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
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友達の作り方

かっこいいとかセンスがいいとか頭がいいとかスタイルがいいとか
将来性があるとかそういう条件で見る目を曇らせないで
会話を楽しめるかどうか、がとっても大切だと思うんだな。
人間関係においては。

「婚活パーティに行ったら、名前より先に年収をきかれてびびった」
とかそんなニュースを読むとなんだかなーと思ってしまう。
友達にしても彼氏にしても、好条件→好きになれる
というんじゃなくて、まず本能というか、感覚の部分でぴん!とくるかが肝要だ。

こんなにたくさん人がいても、「おおお!」となんかの自分アンテナが触れる人は特別。
そのアンテナがもってるお金とか肩書きにしか反応しないっていうのはやばい。
物質主義に毒された人間が落ちていく行く末には、上向き成長のスペースがない。
物質的に満たされた生活ができたとしても、動物の部分が切り離された人間が
心が震えるような瞬間にどれだけ立ち会えるのだろうか。
根っこのとれたフラワーアレンジメントみたいに一時はすごくきれいでも
道端に根強く伸びている野の花の美しさと生命力にはかなわない。

ま、そんな序文はよいとして、
今日マッサージにいったら、カップルルームに案内された。
半分裸のラオス人の女性がいて、一瞬ひるんだのだけれど
彼女が「サバイディー」とにこにこしているので
こっちもあいさつをして、隣でマッサージをした。

カップルルームに知らない人同士をいれちゃうのがラオスだなー、なのだ。
日本的な感覚でいうと「え!?」と思ってしまうのだけれど
値段も10分の一くらいだし、日本の常識で「ちょっと!」というのも気が引けるから
こういうときはラオスの風にのってしまう。
BGMが微妙なカラオケだったり、
テラピストのお姉さんたちがマッサージ中におしゃべりしちゃったりするのだけれど
マッサージを受けている彼女も、「あなた日本人っぽくないわね」とか言ってきて
楽しい時間を過ごしたのだ。リラックスーってのとはちょっと違うけどね。

で、今日は7時からルクセンブルグ人の同僚のお別れ会があったのだけれど、
そこでマッサージの彼女と再会。彼女のだんなさんがフランス人で
そのつながりで彼女も呼ばれてたのだけれど、
昼間に一緒にマッサージしただけなのに、(ある意味裸の付き合いである)
なんか十年来の友達のような感覚になってしまう不思議。

アンテナがどう、というわけじゃないのだけれど
最初に「サバイディー」とにこにこ挨拶されたときから
彼女の空気には人をまろやかにさせるものがあって、
パーティでしゃべったら、いろいろ出てくるものがあって楽しかった。
今日のパーティでも知らない人にたくさんあって、
ああ、また会いたいなという人が彼女も含めて3人ほど。
友情もまず「なんかよくわからないけれど、いいじゃん」
な感覚的な感情から始まるんでいい。
会話がどんどん流れるとか、笑いが絶えないとか、終わった後の余韻がいいとか
そういう五感のワクワク感を大切にしたい。

”ネットワーキング”という言葉に私がいらっとしてしまうのは
「価値がある人とつきあう」という計算された感覚。
もちろん、自分にとってプラスな情報をもたらしてくれる人との出会いや、
人脈を広げることが悪いことではないけれど、
「うまみがある」からつきあうんでなくて「楽しい」からつきあう、
というスタンスで私は自分の周りの人間といたいと思う。
自分と違う世界をみてきている人たちとつきあうことで
自分の世界は確実に広がる・深まっていく。

どこでどういう友達ができるかわからないから人生って面白いだなぁと思う。
大人になったら、友達ができないとたまに聞くけれど
それはきっといろんな計算をしすぎるから。
年齢も国籍も信条も仕事も関係なくもっと自分の
「この人と一緒に過ごしたいな」という気持ちに素直になればいいだけ。
by miomiomiomion | 2012-03-03 11:37 | お友達