よい文化 悪い文化
2014年 08月 25日
以前、ケニアでソマリア人とアメリカ人とヨーロッパ人の女の子たちと
ガールズトークをしていたときに、FGM(割礼)の話になった。
「文化ってのは尊重するべきだってわかっているけれど、
FGMみたいな“害しかない”悪慣習は廃止すべきだ」という西洋人の論に対して、
ソマリア人ではあるけれど、ずっとケニアで生活してきて一般のソマリア人よりは
ずっと物の考え方に柔軟性のある彼女が発した言葉がとても印象的だった。
「じゃ、豊胸手術も廃止すべきじゃないの?」-彼女曰く、健康や公衆衛生の面で
異物を胸に入れるのは全くよいとはいえない。でもなぜ女性は豊胸手術をするのか
-それは社会(男性)の受けをよくするためだ。
それはFGMが実施される理由とほとんど変わらない。
「でも豊胸手術は(しないという)選択もできるわけでしょう?」という返しに、
「多くのソマリア人は未だ“いやいややらされてる”わけではなく、
どちらかというとむしろ娘のFGMに積極的なのは、自分も経験した母親であるのよ。
割礼していない女性は結婚できないわけだから」と彼女はいったのだ。
確かに、当時私はソマリアで働いていたが、周りの教育を受けた人たちの中にも
「娘がいたらFGMはやらせるわ」という人がいたものだ。
(というか、やらせないとはっきり言った人のほうが少なかった。)
確かに不衛生な場所で、ちゃんとした道具も使わず女性の性器に手術をして、
女性から「性の悦び」を奪うだけでなく、痛みに耐えさせるというのは私たちの
「一般的な」感覚からすると全く理解できるものではないのだが、
この「一般的な感覚」なるものをもちこんで、何世代にもわたって
長々と受け継がれてきたものを変えるというのは至難の技だ。
その前の勤務地であった南スーダンでのトポザ族の「トイレ」の話もしたい。
トポザ族は「トイレ」を使わない、ではどこで用を足すかといえば大自然である。
家の周りの糞尿の量が多いほど金持ちである(だからよい)とする村があることも聞いた。
NGOが外部からトイレをもってきて、公衆衛生の講習も兼ねて村で
「トイレを使おうキャンペーン」をした。それでも女性はトイレに行かない。
「何で行かないの?」と聞いたところ「女性がトイレにいくと結婚ができなくなる」
という答えが返ってくる。トイレに行くと結婚できない、という
「雨が降れば桶屋が儲かる」式の論理の飛躍なので
そこに科学的なもしくは社会的な根拠はない。
でも「トイレを使うあなたは結婚してないでしょう?」といわれれば、
(実際トポザ族は14歳そこそこでみなほとんど例外なく結婚するので)
トイレと結婚の関連性のなさを証明するには独身の私では立場が弱い。
別の理由としていつも妊娠しているので、間違えて子供を穴に落とすとまずい、
というのもある(これはある意味社会的だが・・・)
結婚と子供を間違って落としちゃう(そんなに簡単に産まれるのか?)話は
横においておいても、生まれてからこの方大自然で放尿する
「自由」に恵まれていた部族に、小さくて暗くてくさい箱の中で用を足せ、というのは
(放尿を垂れ流すことで病気が蔓延して実際困っているとかそういうことがなければ)
正直、難しい。
そういう「文化の違いあるある」をつらつらを書き連ねていくと話のネタは
たくさんあっていくらでも書けてしまうのだが、さて、ここでイエメンについて書こう
(←やっと本題)。ここの女性は全身真っ黒の服を着用している。
周辺のほかのイスラム国に比べても女性の服装を見る限り保守度はマックス10である。
街中のイエメン女性はほとんどが体をすっぽり覆う黒い布でできた服を纏い、
顔も目だけ出して後は真っ黒である。ホテルや国連の職員はその限りではないが、
基本体、髪は出さない。
自分たちの国で自由に何でも着られる私たちからすると
「まぁなんて不便なんでしょう」と思うが、この黒装束は強い日差しから肌を守る、
だけでなく、ムスリムの友人曰くもともとイスラムが国に入ってきたより以前に
「社会階級の高い女性である」という高貴なしるしでもあった、ということらしい。
デパートやウェディングドレス店(←泊まってたホテルの近くにあった)を見ると
「うわ、こんな服どこできるんだろう?」と思うような刺激的な露出度の高い服が
売られているので、あの厳かな黒の下は結構想定範囲外である。
ということで、人権派やジェンダーにうるさい人々には「!!」と思うような社会的現象が、
住んでいると案外普通に思えてくる。オフィスの女性スタッフはとても優秀だし、
ワークショップでイエメン側の参加者は全員男だったが
唯一オープニングをした副大臣がきれいな女性だったりして、
私はこれから何がみつけられるのかワクワクするのである。
文化とか慣習とかそういうのは、まず自分が知らずにかけている
「一般常識」脳内めがねをはずして大きく深呼吸して謹んで受け入れるものなのだ。
情報が遮断されていて何十世代もの文化慣習を受け継いでいる社会でなければ、
文化というのは、生身の人間が担う「生もの」なので、
少しずつ世の中にフィットする形で“進化”を遂げるものなのだ。
でもそれが、豊胸手術の話ではないが、人間にとってベストな変化とは限らない。
何がよいか、何が悪いか、判断するのは今でなくていい。
情報を広くとって、人の話をきちんと知ること、まずはそこから。
結局のところいい文化、悪い文化があるのではなくて、人なのです、人。
ガールズトークをしていたときに、FGM(割礼)の話になった。
「文化ってのは尊重するべきだってわかっているけれど、
FGMみたいな“害しかない”悪慣習は廃止すべきだ」という西洋人の論に対して、
ソマリア人ではあるけれど、ずっとケニアで生活してきて一般のソマリア人よりは
ずっと物の考え方に柔軟性のある彼女が発した言葉がとても印象的だった。
「じゃ、豊胸手術も廃止すべきじゃないの?」-彼女曰く、健康や公衆衛生の面で
異物を胸に入れるのは全くよいとはいえない。でもなぜ女性は豊胸手術をするのか
-それは社会(男性)の受けをよくするためだ。
それはFGMが実施される理由とほとんど変わらない。
「でも豊胸手術は(しないという)選択もできるわけでしょう?」という返しに、
「多くのソマリア人は未だ“いやいややらされてる”わけではなく、
どちらかというとむしろ娘のFGMに積極的なのは、自分も経験した母親であるのよ。
割礼していない女性は結婚できないわけだから」と彼女はいったのだ。
確かに、当時私はソマリアで働いていたが、周りの教育を受けた人たちの中にも
「娘がいたらFGMはやらせるわ」という人がいたものだ。
(というか、やらせないとはっきり言った人のほうが少なかった。)
確かに不衛生な場所で、ちゃんとした道具も使わず女性の性器に手術をして、
女性から「性の悦び」を奪うだけでなく、痛みに耐えさせるというのは私たちの
「一般的な」感覚からすると全く理解できるものではないのだが、
この「一般的な感覚」なるものをもちこんで、何世代にもわたって
長々と受け継がれてきたものを変えるというのは至難の技だ。
その前の勤務地であった南スーダンでのトポザ族の「トイレ」の話もしたい。
トポザ族は「トイレ」を使わない、ではどこで用を足すかといえば大自然である。
家の周りの糞尿の量が多いほど金持ちである(だからよい)とする村があることも聞いた。
NGOが外部からトイレをもってきて、公衆衛生の講習も兼ねて村で
「トイレを使おうキャンペーン」をした。それでも女性はトイレに行かない。
「何で行かないの?」と聞いたところ「女性がトイレにいくと結婚ができなくなる」
という答えが返ってくる。トイレに行くと結婚できない、という
「雨が降れば桶屋が儲かる」式の論理の飛躍なので
そこに科学的なもしくは社会的な根拠はない。
でも「トイレを使うあなたは結婚してないでしょう?」といわれれば、
(実際トポザ族は14歳そこそこでみなほとんど例外なく結婚するので)
トイレと結婚の関連性のなさを証明するには独身の私では立場が弱い。
別の理由としていつも妊娠しているので、間違えて子供を穴に落とすとまずい、
というのもある(これはある意味社会的だが・・・)
結婚と子供を間違って落としちゃう(そんなに簡単に産まれるのか?)話は
横においておいても、生まれてからこの方大自然で放尿する
「自由」に恵まれていた部族に、小さくて暗くてくさい箱の中で用を足せ、というのは
(放尿を垂れ流すことで病気が蔓延して実際困っているとかそういうことがなければ)
正直、難しい。
そういう「文化の違いあるある」をつらつらを書き連ねていくと話のネタは
たくさんあっていくらでも書けてしまうのだが、さて、ここでイエメンについて書こう
(←やっと本題)。ここの女性は全身真っ黒の服を着用している。
周辺のほかのイスラム国に比べても女性の服装を見る限り保守度はマックス10である。
街中のイエメン女性はほとんどが体をすっぽり覆う黒い布でできた服を纏い、
顔も目だけ出して後は真っ黒である。ホテルや国連の職員はその限りではないが、
基本体、髪は出さない。
自分たちの国で自由に何でも着られる私たちからすると
「まぁなんて不便なんでしょう」と思うが、この黒装束は強い日差しから肌を守る、
だけでなく、ムスリムの友人曰くもともとイスラムが国に入ってきたより以前に
「社会階級の高い女性である」という高貴なしるしでもあった、ということらしい。
デパートやウェディングドレス店(←泊まってたホテルの近くにあった)を見ると
「うわ、こんな服どこできるんだろう?」と思うような刺激的な露出度の高い服が
売られているので、あの厳かな黒の下は結構想定範囲外である。
ということで、人権派やジェンダーにうるさい人々には「!!」と思うような社会的現象が、
住んでいると案外普通に思えてくる。オフィスの女性スタッフはとても優秀だし、
ワークショップでイエメン側の参加者は全員男だったが
唯一オープニングをした副大臣がきれいな女性だったりして、
私はこれから何がみつけられるのかワクワクするのである。
文化とか慣習とかそういうのは、まず自分が知らずにかけている
「一般常識」脳内めがねをはずして大きく深呼吸して謹んで受け入れるものなのだ。
情報が遮断されていて何十世代もの文化慣習を受け継いでいる社会でなければ、
文化というのは、生身の人間が担う「生もの」なので、
少しずつ世の中にフィットする形で“進化”を遂げるものなのだ。
でもそれが、豊胸手術の話ではないが、人間にとってベストな変化とは限らない。
何がよいか、何が悪いか、判断するのは今でなくていい。
情報を広くとって、人の話をきちんと知ること、まずはそこから。
結局のところいい文化、悪い文化があるのではなくて、人なのです、人。
by miomiomiomion
| 2014-08-25 18:36
| かるちゃー