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世界のはじっこでの日常生活。思考生産物の物干し竿。


by miomio
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心の浄化

ヴィッパサナー合宿 まとめ:

最初にヴィパサナーの瞑想合宿のことを聞いたのは確か2000年の最初。
インドやミャンマーでの合宿に行こうかと考えたこともあるし、
実際京都の合宿に一度申し込んでいたりもする(2006年。キャンセルしたんだけど)
でも10日間休みをとって、どこか遠く(たいていは田舎)で
ひたすら「瞑想する」という気分にならなかったり、
ここ数年は休みのときはレースやマラソンやってたし、
タイミングが合わなくて
やっと今年の今、参加することができた。

人生ってタイミングだなぁとつくづく思う。

でも、いろいろ考えてると
ちゃんと「ベストなときにベストな内容で手に入れられる」ってこともわかってる。
努力はしてみるべきだけど
思うように思ったようにならなくても心配しなくて大丈夫。
必要なものは必要なときにちゃんと手に入ってくる。

で合宿内容。

1日目の午後にチェックインして、12日目の早朝にチェックアウト。
中日10日のうち9日は「聖なる沈黙」(先生やコースマネージャーと必要な以外は
一切しゃべらない)を守り、一日10時間瞑想(プラス90分講話)というスケジュール。
朝4時起床。夜9時半就寝。食事はシンプルな菜食。
(午後5時は基本はお茶とフルーツのみ)

最初の3日間はシンプルに呼吸を観察して、
後の7日間はヴィッパサナー瞑想ってものをやるんだけれど、
特にマントラを唱えるわけでも、形式があるわけでもなくて
「今の自然な自分(の呼吸と感覚)を観察する」のがメイン。

呼吸の「すーはー」をただひたすら「観察せよ」といわれても
二時間も座ってると、体は痛いわ、気は散るわ、集中力は途切れるわで
気がつくと「すーはー」とは全然違うことを考えている自分がいて。
とにかく最初の二日は

人生分睡眠不足解消的な位置づけ

すーはーすーはーを10回もいかないところで雑念が混じり、
心の雑音を消して戻ってみようと試みること数回で
意識が飛んで2時間終了。という繰り返し。

面白いのが3日目くらいから今までの人生で忘れていた脳のアーカイブの
深いところにもぐりこんでいた些細で瑣末な過去の断片がいろいろでてくるようになった。

3日目くらいから人生汚濁シリーズ

幼稚園のときに列になったとき、私の後ろに並んでいたYちゃん。
ちょっと発達障害気味な女の子で、みんなが帽子にいじめていて
自分もみんなと一緒に砂を乗せて彼女に「やめてよー」と
いわれるのを面白がっていたこと(なんて邪悪な私)

小学校2年のときにで一緒に帰ろうと誘ったのにほかの友達と相談してから
だめといったHちゃん。

水泳クラブで一緒に組むのがやだったSちゃん

給食のヨーグルトのふたをなめたら「そういうことをしちゃだめだよ」と
当時好きだったKくんに言われてすごく恥ずかしかったこと。

とかそういう瑣末で些細な心に作った小さな傷がぽこぽこと出てきた。
あまりに昔過ぎて今どうこうということではなくて
そういえば、そんなことがあったなぁーと懐かしく粛々と思い出していく。
ドラマでいうところのダイジェスト、というか
いろんな場面が次から次に浮かんできて、
瞑想中は心の雑音でうるさかったし、
夜になったら寝られないしで
とにかく精神的に辛かった。(思い出すこと自体ではなくて)

面白いのは最初は幼稚園とか小学校でいやだったこととか悲しかったこととか
ひどいこととかで、次の日は「人生で盗まれたものシリーズ」で
次の日が「私が傷つけた人、傷つけられた人シリーズ」で
結構はっきりしたカテゴリー別に、今までの人生分さらさらと記憶が出てくる。

12日中。ちゃんと寝られたなってのは3日くらいであとの日は
うだうだと今までの人生で忘れかけていたことを思い出していたのかもしれない。
で、思い出して、”赦す”でも”流す”でも”忘れる”でもなくて

ひたすら「観察する

人生を辛くするのが嫌悪感と渇望。
それにイライラ感と睡魔と疑問

どっかに無理やりどうこうするのではなくて
自分の体や心の感覚を冷静にみつめながら出てくることを「手放す」作業。
これがなかなか大変なんだなぁ。感覚が研ぎ澄まされて、心が軽くなってくる。
体は痛いけれど、集中力は途切れるけれど、
呼吸や体の感覚にフォーカスしながら、自分に向き合う。

それこそ幼稚園時代から大学時代、就職してからの12年間、
別に今まで立ち止まってこなかったわけじゃないけれど(寄り道だらけだったし)
なんていうか12日間誰とも会話をしないってだけでここまで
自分とどどーんと向き合うことになるとはね。びっくりびっくり。
人生でずいぶんいろんな経験してきたとは思うけれど
ここまでの「ビックバン」はなかったかも。

旅行をして、いろんな人に会って、いろんなことやって、
楽しい人生を送ってきてるとは思うけれど、もはや人生の幅を更に広げるには
「たくさんの国にいくこと」とか「たくさんの友達を作ること」自体には
あまり意味がないという段階には完全に入っていて
そうなるとベクトルは外じゃなくてうちに向いていくんだなぁと
うすうす感じてはいたけれど、実際に自分のうちに向かうってのは
楽な航海ではないのだ。

しゃべらないこと、書かないこと、テレビも電話も、ネットもない、
空気だけは本当にきれいで薄目を開けると誰もびくとも動いていない
そんな中での2週間、
シンプルで薄味の菜食だけで生きているとああ確かに

浄化してくるなぁ

という実感がある。「浄化」ってとちょっとうさんくさいというか宗教じみてるというか
ちょっと構えてしまうかもだけれど、日々忙しい中で思考や感覚を消化不良のまま生きてくると
心が腐敗してくるってのは実際あることだろうと思う。
多少の腐敗っていうか免疫がないと人生を楽しく生き抜くには難しいわけだけれど。

人によっては瞑想をしててビリビリきた!とか涙がとめどなく流れてきた、みたいな
ドラマティックな経験をする人もいるみたいだけれど、私の場合は
ひたすら規則的にカテゴリー別に人生の汚濁が浮かび上がって、消えていった感じ。
一日の終わりに90分ある講話がまたよくてねー
自分のことを穏やかな気持ちで過度の興奮することなく
みつめられてよかった。ほんと。
でも、これからちゃんと自分の感覚を観察していくこと、瞑想を続けていくことが
肝要みたいだけれど。

最後の一日は「聖なる沈黙」が解かれてからが、これがまた。
もともと「考えること」「語りたいこと」がいっぱいある人たちが
共時性がある中に集まってくるわけだから

話は早いし、わかるし、面白いし

5人の母親の沖縄在住の人とか
子供が大きくなって再婚考えてる人とか
大学卒業してコミュニティスペースを作ることを考えている元保育士さんとか
リゾートバイトやりながら英語勉強している人とか
地爪を育てるネイリストさんとか
背筋がぴんと伸びてるヨガの先生とか

そういういろんな人たちと
いろんなことを話すのはとても楽しい。
12日間うちにうちにむいていた感覚がぱーっと外に放たれる快感といったら。

これで、精神的に大きく開放された私がその夜に見た夢は

厚切りジェイソンと夫婦漫才する夢でした。

朝、起きた時、
あ、私とりあえず今浄化されたんだわって納得しちゃった。

それにしても厚切りジェイソンとは・・・・

心の浄化_d0153664_12132393.jpg

by miomiomiomion | 2015-06-08 09:56 | ワタクシゴト